沿革

Company History

よりグローバルな開発提案型の企業へ

岩瀬健治が会長を務める近畿化粧品原料協会の平成21年新年会(上)と、平成22年総会(下)

岩瀬健治が会長を務める近畿化粧品原料協会の平成21年新年会(上)と、平成22年総会(下)

二十一世紀という新しい時代の幕開けを迎え、岩瀬コスファ株式会社はよりグローバルに独自の仕入れルートを開拓していった。
 平成十五年(二〇〇三)には韓国事務所、平成十八年(二〇〇六)にはニュージャージー支店、平成二十一年(二〇〇九)にはパリ事務所をそれぞれ開設。
 また、販売代理店も韓国、インド、タイ、フィリピン、インドネシア、ベトナムといったアジア各国から、スペイン、ロシアなどにも拡大している。「岩瀬からグローバル企業IWASEへ」をスローガンに、着実にフィールドを広げていっているのだ。
 最近では、国内のみならず海外での展示会も積極的に参加し、海外での知名度も徐々に上がってきている。

こうして世界各地に拠点を置くのは、マーケットを広げることだけが目的ではない。まだ日本には知られていない原材料の開拓や、現地の情報をいち早く集めることも、大切な使命だ。その根底にあるのは言うまでもなく「お客様に、より良いものを届けたい」という基本精神である。
 また「私たちは、開発提案型の会社だから」と、健治は事あるごとに口にする。
 研究開発部員と営業部員が知識を共有し、常に新たな可能性を求めていくというのは、先代から受け継いでいる社風。その社風があってこそ、大胆でユニークな発想が生まれ、開発提案型の会社を実現できると信じている。
 品質管理においても、「お客様に安全な商品を提供する」ことを第一と考え、しっかりと責任を持って取り組んでいる。

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副社長・岩瀬由典の生い立ち

現副社長である岩瀬由典は、昭和四十七年(一九七二)五月、現社長・岩瀬健治の長男として生まれた。幼少時代はとにかく活発で、暇さえあれば近所の山に登り、時の経つのも忘れて遊ぶ子供だった。祖父である健次郎は、そんな由典のことがかわいくてたまらなかったようだ。

昭和47年、岩瀬由典が生まれた年、パンダのランラン、カンカンが上野動物園で一般公開開始

昭和47年、岩瀬由典が生まれた年、パンダのランラン、カンカンが上野動物園で一般公開開始

小学校五年生のある日のこと、由典は父である健治のノートに書かれた言葉を偶然目にした。
「人みな師」
 他にもいろいろ書いてあったはずなのに、なぜかその言葉が気にかかった。
「お父さん、人みな師って、どういう意味?」
 素直に、父に聞いてみた。
「ん? ……あぁ、お父さんの大好きな言葉や。人は皆、誰でも自分の師匠。親も師匠、子供も師匠、好きな人も、嫌いな人も、みぃんな自分にとって、何かを教えてくれる師匠ということや」
「ふぅん……」
 小学生の由典にとって、言葉の真意を理解できたかどうかわからない。だが、なぜか胸の内にすとんと落ちるものがあった。
「僕もクラスに苦手な子がいるけど、その子も師匠ってことか……。よし、僕はこれから嫌いな人をなくしていこう。どこかいいところを見つけて、なんでも学んでいこう」
 それ以来、由典の心に「人みな師」という言葉が刻まれた。嫌なことがあっても「人みな師」と唱えれば、自ずと誰のことも疎ましく思わなくなった。そうなると不思議なもので、周りからも慕われ、信頼されるようになっていった。

由典が高校生の頃、祖父の健次郎が膵臓癌を患い、入退院を繰り返すようになった。一階にベッドを運び、自宅療養の際はそこで横になる。腹水が溜まり、激痛の走る健次郎の体をさするのは、由典の役割だった。

「どこが痛い? ここか? さすったら、ちょっとはましになる?」
 健次郎の背中を一時間かけてさすり続けることもあった。
 だが、平成二年(一九九〇)、由典が高校三年生のとき、祖父は他界した。
「おじいちゃんは最後まで弱音を吐かんかったなぁ……。そんなおじいちゃんこそ、僕の目標とする人や。でも、僕に越えられるやろか?」
 健次郎の生き様は、いつしか由典の人生の目標となっていたのだった。

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由典、岩瀬コスファへ

大学を卒業した岩瀬由典は、岩瀬コスファに入社してすぐにニチメン(現在は双日)に出向という形でニチメンの営業マンとなった。ニチメンでは新入社員の頃はとにかく訪問の連絡なしに様々な企業を訪れる。当然、門前払いされることがほとんどだった。それでも人と接し、人と対話することが好きな由典にとって、営業活動は苦にならなかった。入社して二年が過ぎた頃、ドイツへの出向を言い渡された。必死で異国の言語と格闘しつつ、休みを取ることもままならないまま仕事に没頭していると、瞬く間に三年の月日が流れた。そんな中で由典が思うのは、やはり岩瀬コスファのことだった。実は祖父である健次郎が亡くなったとき、由典には密かに決意したことがあった。
「おじいちゃんとお父さんが作り上げた会社を、僕はいつか百倍の規模にしてみせる!」
 当時はまだ仕事のことなど何も知らない高校生だったが、だからこそ、その決意は純粋なものだった。
「そろそろ、日本に帰って、岩瀬コスファの力になりたい……」
 こうして二十七歳になった由典は、岩瀬コスファに出向から戻ってきた。

平成8年10月、社内海外研修旅行(大阪東京合同)オーストラリアIFSCCシドニー大会の視察を兼ねてオーストラリアとした

平成8年10月、社内海外研修旅行(大阪東京合同)オーストラリアIFSCCシドニー大会の視察を兼ねてオーストラリアとした

最初に由典に与えられたのは、営業開発というポストだった。一分一秒が大切だった商社にいた由典にとって、岩瀬コスファに入社した印象は、時間の流れがゆったりしていて、マイペースな会社だなぁということだった。

郷に入っては郷に従え。由典は、まず岩瀬コスファの社風から把握することにした。とにかくわからないことがあれば誰かに聞く。いろんな人に教えを請うことが新入社員である自分のすべきこと……。十代の頃に心に刻んだ「人みな師」という言葉が、ここでも役に立ったのだ。やがて、由典は営業開発からシステム関係へ、そして取締役、副社長へと一段ずつ階段を上がって行った。だが、時が経つごとに増していくのは、祖父・健次郎のいない喪失感だった。ふとした瞬間に、それは訪れる。仕事をする上で壁にぶつかるときなどは、なおさらだった。
「あぁ、こういうとき、おじいちゃんならどうしたやろう……」
 想像の範囲ではあるが、祖父がどんな答えを出すのかわかる気がする。とはいえ、想像は想像でしかない。もっといろんな会話をしておけばよかったと、ステップアップすればするほど、その思いは強くなるのだった。

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目指せ、世界のIWASE

祖父のいない喪失感は決して消えることはないが、それでも由典は前へ向かって進んで行かなければならない。社員も増え、副社長としてやるべきことは山のようにある。

まずはアジアでの展開だ。上海と廣州は着実に成長を遂げているし、ベトナム、フィリピン、マレーシア、シンガポールなども成長しつつある。中でもベトナムは、上海、廣州に続き、さらに強化していく価値があると由典は考えている。

平成19年アメリカ、カリフォルニアでの展示会「SCC Supplier's day」に出展

平成19年アメリカ、カリフォルニアでの展示会「SCC Supplier's day」に出展

大切なのは実際に現地に赴き、その地の気候や文化までをも肌で感じ、人々と対話し、彼らのニーズを読み取っていくことだ。日本では使える原料でも、国によって使えないもの、医薬品に分類されるものなどもある。リップクリームひとつにしても、常時温暖な国に行けば、日本の処方と同じものでは崩れやすくなってしまう。そうしたインターネットの情報や本の知識では得られない細かな事柄を、ひとつひとつ調査し、データベース化していくことこそが、グローバル企業IWASEへの確かな一歩へとつながるものと、由典は信じている。

何よりジャパンブランドに対する信頼と憧れは、いまだに根強いものがあるということをひしひしと感じていた。アジア各国の技術も知識もレベルが向上してきている今、社員自らが現地でていねいに説明できれば、商品の良さはしっかりと理解してもらえる。
 アジア全体がより大きな市場へと成長する可能性は、十分に秘めている。
 由典がアジア以外で力を入れていきたいと考えているのが、すでにパリ事務所のあるフランスを中心としたヨーロッパ。香水も含め、化粧品やファッションを世界的にリードする国のひとつであるフランスは、これまで以上に力を入れていきたいところだ。何よりトレンドをいち早く知ることが、新しい原料を獲得するチャンスにもつながる。ヨーロッパの拠点がしっかりと育っていけば、ゆくゆくはロシア、インド、その先は南米、アフリカまで……。市場は世界中に、確実にある。
「百周年を迎える頃には、全世界に知られる企業になる!」
 由典は、こう公言する。敢えて口に出して言うことで、社員のみならず、自らをも鼓舞しているのだ。その土台づくりは、まさに今、始まっている。

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十年後、二十年後の姿

未来の岩瀬コスファを盤石なものにするためには、良い人材を育てる必要がある。各国に赴き、その土地ごとの民族性を理解し、信頼関係を築き、日本との連携を図れるような人材を育成する。優秀な人間を雇えば即戦力になるかといえば、そういうわけにはいかないことを由典は知っている。まずは岩瀬コスファという会社の歴史や性質を理解し、化粧品原料の知識を蓄え、それなりの経験を積んでからでないと、海外展開のための太いパイプにはなり得ない。

社是

社是

岩瀬コスファは、創業から八十周年を迎える。だが、八十年は節目のようでいて、まだまだ節目ではないと由典は思う。もちろん、これだけ長く会社が継続できたのは、仕入れ先や得意先、社員、そして家族の支えがあったからこそ。改めてそのことを思うと、感謝してもしきれないほどだ。

 だが、ここで満足してはいけない。頭の中に思い描いているのは、百周年という文字だ。日本の企業が百周年を迎えられる確率は企業全体の約一・六パーセントと言われていて、百年続けば立派な老舗企業と言える。岩瀬コスファが百周年を迎えるとき、由典は五十九歳になる。その頃に、しっかりと会社を守り、サポートしてくれる人材が多く育ってくれていれば可能だ。

社訓

社訓

十年後、二十年後は、今という時間から分断された遠い未来の話などではない。むしろ、今という時間の中にこそ、十年後や二十年後は存在するのだと、最近の由典は考えるようになった。今の行動が蓄積して、十年後、二十年後を形成していく。だからこそ、今できることは先延ばしにしたくはない。今できることを一所懸命やっていけば、次なる目標が生まれて、その連鎖の結果が未来になるのだから。
 由典は今、胸の内に熱く燃えているものを感じている。この情熱の炎を絶やさず、これから先の二十年間、さらにはその先の未来へ向けて、走り続けるのだ。

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